学校の窓ガラスを割っていた不良時代

gakkou_mado
昔は不良だったなんて言うヤツに限って大したことなかったりするもんだ。かくいう自分は学生の頃、学校の窓ガラスを割って回ったりしていたけど、だからといって自分が不良だったとは思わないし、そもそも自分は大したヤツじゃない。

そんなふうに適当に学生時代を過ごしていたけれど、それなりに勉強もできていたし、いつのまにか大学にも入って社会心理学なんかを学んだ後、なんだかんだで今現在、どういうわけだか大学で教壇に立つことになったのはまだ良いとして、そこで「割れ窓理論」なんて語っているのは、これぞ人生の皮肉か機微かといった塩梅なのだろう。

犯罪は原因よりもそれを取り巻く具体的な環境に依存するという理論を持つ環境犯罪学は、犯罪の理解に客観性を持ちこみ、より効果的な犯罪への抑止力を探求する学問でもある。早い話、窓ガラスを割る人間の心理を考えるよりも、割れた窓ガラスが人に与える心理的な影響をかんがえるほうが現実的だということなのだが、確かに学生のころの自分に「なぜ窓ガラスを割るんだ」と問えば「別に理由なんてない、割りたいから割るんだ」と答えただろう。それよりも、誰かが割った窓ガラスを見て、自分が割っても良いだろうと考える輩がいることはすぐに想像がつく。どこの世界にも自分ではなにも始めないくせに、誰かがはじめた悪事の尻馬に乗って自己陶酔、自己顕示をするヤツがいるものなのだ。

そんなわけだから、割れた窓ガラスはすぐにでも交換修理しなければならない。さもないとそれまで無事だった窓ガラスも明日には割られてしまうかもしれないし、そうなれば交換費用はかさんでいくいっぽうになってしまう。良いことなどひとつもないのだ。もちろん、窓を割ったやつが一番悪いに決まっているのだが、文句を言っても窓ガラスは治らないし、不良もいなくならない。かわいそうなのは、窓を修理する人は「自分では窓ガラスを割らない善良な人」ということだろう。